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引き継がれたのはロマンなのか

日生劇場ビッグ・フィッシュ」を観た。

夢の世界を生きる父親と、父の本当の姿を見極めようとする息子を通して描かれる継承の物語。世代交代をしていく家族の物語ではあるけど、主軸はひたすら父と息子。

空想の話で自分を煙に巻き続けた父エドワードに対する苛立ちや拒絶感が、息子のウィルからは伝わってくる。しかし正直ウィルの描写が少なすぎてそれ以外のウィル、現実を生きるウィルの姿が抜け落ちている印象だった。そういった点では、エドワードの空想の中で活躍する妻サンドラは、現実世界の描写もウィルより描かれていて、なんというか「現実」を表す人だった。

ウィルは、テレビの仕事をする女性ジョセフィーンと結婚し、アラバマからニューヨークへと出て行くのに、南部の田舎町を飛び出して大都会を目指す野心のようなものも描かれていないし、どんな仕事で一旗揚げるつもりなの?っていう部分も謎だったなあ。おかげで歌ばっかり目立ってしまって浦井君もったいなくないかな、という感想。

一幕も二幕もエドワードの夢物語が次から次へと繰り広げられて、しかし現実では父と息子の確執があると伝えられていて、これはどうやって収束させるんだろうと思ってたら、ジョセフィーンがいきなり、お父さんの話はあなた(ウィル)に伝えたかったメッセージだからそれぞれの話のメッセージを確認しましょうみたいなことを言う。この解説をさせるためにジョセフィーンは出てきたの?というくらい他に出番がないので、この場面が妙にひっかかってしまったのでした。

オチとして、父が決して語らなかった物語こそが一番夢のような素晴らしい話であって、それによって息子の心は氷解し、父が望む夢のような人生の終焉に力を貸すというエンディングでありました。

 

照明を含め、舞台の見せ方は本当に美しかった。
映像をスクリーンに映すタイプの演出でここまで違和感なく、空間を効果的に見せていた舞台は久々でした。水仙のイエロー、そこに登場する人たちのブルーの衣装も素敵だったし、各シーンのダンスも見応えがあった。美しい絵本を見せてもらったような気分、という感想がしっくりくる。
だからこそ、ウィルの薄さだよねえ。残念なのは。エドワードのエピソードを少し削ってでもウィルの生きる現実、親子の関係をもう少し見せて欲しかったな。

ウィルがかなり無色透明に描かれているせいで、あまりに大きくて派手な男のロマンみたいなものをポンと投げて去っていくなよエドワード!それちょっとウィルには重いよ!って気分にもなった。じゃあ何がどういうバランスだったらよかったのかは難しいところ。

個人的にはこういう話ってそれこそ男性が観た方がぐっとくるのではと思ってしまうのだけど、どうなのかな。とはいえ、客席は九割八分まで女性、しかも年齢層高め。ミュージカルだから、日生だからそういうものといえばそうだけど、そこもなんだか勿体なく思ったところでありました。

「愛と欲望の雑談」

雨宮まみ 岸政彦「愛と欲望の雑談」を読んだ。

 

この本は昨年の9月に刊行されたもので、読もうと思っていたら雨宮さんが亡くなってしまい手に取れずにいた。私は雨宮さんを「女子をこじらせて」で知ってから、書かれるものを追いかけていたし TwitterInstagram までフォローしていた1ファンだった。
結果としてこの本は雨宮さんの遺作となり、これを読んでしまったらもう新作はないと思ったら寂しかった。

「コーヒーと一冊」というシリーズから出ている本ではあるけど、私はお酒を飲みがなら読んだ。

 

個人のコミュニケーション能力に任せてしまうと格差は広がるばかりだけど本当にそれでいいの?という話や、個人のしんどさが聖化される話、持っている方が叩かれる話。それらはネット上の言説でも目にするような話題だけれど、このお二人の会話には、問題を鋭く指摘してやった!という匂いや、論破してやる!みたいな雰囲気が全くなくて、ただ本当にやわらかい言葉で雑談をしているからこそ、こちらの身に染みた。私が住んでる世界の話をしているのだと思った。
なのに後半、浮気の話になったらお互い相容れないところが明らかになり、急に「いい試合」とか言い出すので笑ってしまった。

 

この本によって私は岸政彦さんという方を知って、その後、岸さんが書かれたこの文章を読んだ。

さようなら – sociologbook

「雨宮さんの文章で救われ」た私は、岸さんのこの文章にも救われて、悲しいことはとことん悲しんでいいし落ち込んでいいし、会ったこともない人のために泣いてもいいのだと心底思った。

 

本のあとがきで雨宮さんが書いた「話すだけで、世界は豊かになる。自分の世界も、他人の世界も。」という言葉をしっかり握りしめていきたい。言葉を惜しまずに伝える。自分に向けて発された言葉を決して軽んじない。

 

お見送り

去年の夏頃から、新しい場所に旅立つ人を見送る機会が続いている。

 

理由や行く先は様々だし、幼稚園や小学校の頃からの友人もいれば、趣味で知り合って親しくしていた人、よくいくお店の常連さんだったり、全て異なる話ではあるけれど、とにかく私は手を振って見送るのだ。見送ることさえ出来ず、本当に遠くに旅立ってしまった人もいたのだから、見送ることが出来ただけでも運がある。

 

遠く離れてしまっても、お互い会いたいという気持ちとタイミング、場合によってはちょっとのお金と体力さえあれば、また会えるということを私は知ってる。これは大人になってしばらくしてわかったこと。大人っていいよね。

 

見送った分新しく出会えるってものでもないから、しばらくはいつもの電車が妙に空いてるみたいな感覚で過ごすことになる。そりゃあ少しはさびしいけど、悲しい話ではないからいいのだ。