エレベーターは心が荒むよ

今の勤務先はそこそこの高層ビルで、朝9時前後の出勤時間帯は1階のエレベーターホールに自動的に箱が降りてくる。そして「閉」ボタンが効かない。最初の人が乗り込んで行き先階ボタンを押した後、少しの時間をおいて閉まる。

閉まる直前に外側のランプが点灯し、内側には「ドアが閉まります」というアナウンスが流れるのだけど、数台止まっている箱のうち、このランプが点灯しているものに駆け込んでくる人が結構な割合でいる。場合によっては腕で閉まりそうなドアをガードする体勢で走り込んでくる。

閉まりかけたドアはもう一度開くとその後また少し時間をおいて閉まる。そうこうしてると次に出発すると思ってた箱が先に閉まって出る。

しかも、そういう駆け込みの人に限って効かない「閉」を連打したりするので、こちらは別に急いでいなくても朝からうんざりするというもの。
いい加減仕組みに気がつけよ。効果を求めるならまず仕組みを理解して欲しい。

 

フィクションの世界なら、エレベーターの中での出会い、偶然の会話なんていうのはあるあるだし、壁ドン(もうさすがにはやってないよね?)は犯罪行為に限りなく近いのでやめた方がいいと思うけど、ドラマチックな装置になったりもするよね。もちろん現実の生活の中でそんなものは期待していないけど、駆け込んで「閉」連打とか、イアフォン携帯ゲームで乗り込んできて入り口付近で急停止するとか、もうそんなのばっかりだと朝から荒むよ。

しかもほとんどが自分と同じ勤務先の人間かと思うと、余計荒む。ナニコレ社風なの。

そもそも朝のエレベーターがそんな制御をされるようになった理由が酷い。

自分が乗り込んだら即「閉」を押して、数人しか乗ってなくても出発させてしまう人が多く、エレベーターホールに人が溜まってしまうから、というもの。たかがエレベーターで数秒稼ぐ前に、30分早く家を出てくれよとしか言えない。電車の駆け込みも一緒だけど。

4月に一斉に新入社員がやってきた時、彼らは教わった通りのビジネスマナーで行き先階ボタンの前に立ち、用心深く乗り込んできそうな人を探しては「開」ボタンを押し続け、それはそれでがんばり過ぎだとは思うけど、まだ爽やかさがあってよかった。しかしもうそんながんばりも薄まっていく季節、そして乗ってきた瞬間に異臭を放つ人が急増する季節。いやいや他人事じゃないよ自分も気をつけよう。ノー部屋干し臭。

 

好きなことをやってるのに、という力

年度末は大きな騒ぎも起きずに無事やり過ごし、新年度が始まってしばらく経ったものの仕事ではそれほどヤバい案件を引かずに生き延びている。そうなると俄然フラメンコの練習に時間を割きたくなって、張り切ってスタジオを借りて自主練などしてみるのだが、自分で組んだはずのスケジュールで疲労がどんどん溜まる。挙げ句、酷い風邪をひいて熱こそでなかったものの、鼻をティッシュで抑えて歩きたいような状態になった。

発表会用のクラスにはヨロヨロしながら参加し(迷惑だから休んでろという話)、ぼんやりするのをカフェインやらチョコやらで盛り上げて仕事を回し、なんでこんなヨボヨボになってるんだよと自問。

クラスに出ても自主練しても得られるものは多く、でもその一方でこれもできない、あれも全然ダメだと自他両方からのダメ出しでいっぱいになって帰ってきて、必要以上に食べて気持ち悪くなって寝るようになってしまった。これ、エモーショナルイーティングってやつだよね。

 

そして突然、好きなことをやっているんだからストレスが!とかもう疲れた!なんていうのはおかしいと思っていたことに気がついた。それがまず、体を絞りたいと思ってるのに衝動的にものすごく甘いものを食べたり、すごい量を食べ続けたりするという形で表に出てきて、そして、本当は疲れていて休みたいのに「もっとやらねば」という気持ちに押し切られて練習をいれたりして体調を崩したりもした。

わりと無意識に「自分の好きなことをやってるのに」というプレッシャーを自分にかけ続けていたのだ。そして、道なりに進んだくらいじゃ到達出来そうにない高い理想を掲げ続けていた。それらは強い力になって自分を縛っていたのだろう。

好きなことをやっているのに甘えたことを言ってはいけないとか、やりたいといったのだから途中で「もう嫌だ」というのは間違いとか、そういうのを他人が言っていたら、どんな精神論だよ気持ち悪いって思うのに、自分で自分に言うのはノーチェックなんだよね。不思議。

どんな力で無駄に自分を縛っているのかが見えたので、踊りの発表会までもうしばらくどうにか力を抜いたり、逆に利用したりして走っていけたらいいなと思う。

発表会が終わっても私のフラメンコ練習生生活は続くし、もちろん会社員生活も続くのだ。

OLの習い事の向う岸

就職してから少し経ってフラメンコを習い始めた。

最初は家の近所のカルチャーセンターで週に1度、1時間強のクラスに通っていた。カルチャーセンターの生徒は年齢の幅が広く、当時20代だった私はぶっちぎりで最年少だった。続けるうちにもっともっとという気持ちになったものの、そのカルチャーセンターではそれ以上のクラスは開講されていなかったので、当時の先生が所属しているスタジオに通い始めた。そこからももう随分経つ。

 

フラメンコを最初に見たのは大学時代だ。通っている大学にはダンス部があって、フラメンコを専門にやっている人たちがいた。

友人がそこに所属していて、学園祭のステージで見て一気に興味をもった。聞き慣れなくて全然取れない、でも盛り上がるリズムと、それまでずっと聴いていた五線譜できっちり書くことが出来るメロディとは異なるなんともいえない旋律、そして華やかな衣装。学生時代の私には靴も衣装も、たまに来てもらっているプロの先生への授業料も払えそうになくて始められなかったけれど、就職してしばらくしてふと思い出したのだ。

 

通っているスタジオには色んな生徒が通っている。年齢層もバラバラだし、少ないけど男性の生徒もいる。

健康のために定期的に体を動かしたい人、踊ってストレスを発散したい人、もちろんフラメンコの歌、音楽そのものが好きで通ってる人も多いし、プロを目指している人も、実際にプロ活動と呼べるようなことをやっている人もいる。

意気込んでスタジオに通い始めたものの私がお稽古ごとに割ける時間は少なくて、プロ活動に向かっていく人や、ぐんぐん上手くなる若い人を眺めながら、ちょっとマンネリ化したり、発表会前の人間関係で嫌気がさしたり、そんなこんなでここまできた。

そして今年初めて、それも唐突に、プロ、セミプロと呼べるような人、ソロでコンクールに出るような人たちが集まっているクラスに突入した。私はそれまで決して熱心な生徒ではなかったので、先生方にもどういう風の吹き回しなのか何度か聞かれた。
はっきりしていることは、仕事が急に今までのような忙しさではなくなり、今なら「仕事が忙しいから」を言い訳にせずに取り組めるはずだと思った、ということ。でも、それ以外はなんだか上手く説明出来ない。今やらなければ永遠にそこに挑戦することはない気がすると思ったのも確かだけど、それだけじゃない。そして困ったことに溢れるフラメンコ愛とかでもないのだ多分。

結果、今地獄を見てる。
こんな基本的な技術も身についていないのにどうするつもりなのか?と問われ続けてる。がんばりますとしか言えない。舐めてました出直しますといって撤退した方がいいとわかってるのに言えない。
そこそこ長く「OLさんの習い事」の岸にいて、広く深い川の向こう側に広がるプロを目指す人たち、プロを目指すわけではないけれどフラメンコを追い求め続ける人たちの岸を見てた。足元を見ればそこに横たわる川の広さも深さも見えたはずなのに、向こう岸がなんだかとても素敵に見えて、何も考えずに川にはいってしまった。今はそういう状態だ。

渡りきれずに、けれど戻ってくることも出来ずに、流されて消えてなくなってしまうのではないかという気持ちでいっぱいになっている。なんで軽率に渡ろうとしたのか?と自問してる。自分でも納得がいく答えが出来ない。

これを書いてて、まだなにもオチがない。
結果は見えてる気もするけど、まだ出ていない。1ヶ月後、2ヶ月後、私はどこにいるかなと思ってこれを書いてる。