過食の人

 食べたい時に食べたいだけ食べるという欲求は、私にとっては1番満たしやすい欲求なのかもしれない。好き嫌いもあまりないし、アレルギーも無い、遅くまで開いているスーパーやコンビニも近所にある。食べることが好きで、幸運なことにコンビニやスーパーで好きなものを買えるくらいのお金はお財布にある。

 

  自分が楽しいと思える仕事がしたい、思ったように踊れるようになりたい、なんだか疲れが取れないからもう少し寝ていたい。日々の中の欲求は大小様々あるけれど、満たすことが難しいものがほとんどだ。長い目で見たら叶えられるものもあるかもしれないけど、今気持ちが湧いてきて、それが収まらないうちに完了マークがつけられるものは本当に少ない。

  あれもこれも思ったようにはいかない。自分に対する嫌悪や、自己評価の低さにどっぷり浸かっていると、明らかに悪手なのに「食べたいものくらい食べよう」という気持ちが出てきてしまう。そこは食べ物で埋められないとわかっているのに、食べて埋めようとする。

  

  食べたら食べたで自己嫌悪は酷い。吐くほど食べるわけじゃないから、確実に体についていく。いわゆるドラマ的な過食ではない。ストレスのはけ口が他に見つかれば解消していく。今まではそうだったけと、今後はどうかなって考えると結構怖い。

 

  歳を取れば取っただけ成長する、いろんなものを得ていくなんてのが標準的なのだと提示され続ける生活に疲れたのではないかと思う。歳を取れば取るほどぐずぐずになり、何もかも失っていくってことも充分ある。そっちのコースに入りたくないから、考えないようにしているだけだ。

  願うことがちっとも叶わないから、簡単に叶うことをすぐに手を出す。私のすぐそばに過食がある。

 

 

 

部屋に飾る花

 今の職場は歓楽街が近いせいもあるのか、夜遅くまで開いている花屋が多い。残業帰りにふらっと小さなブーケを買って部屋に飾ったら予想外に気分がよくて、花瓶もないのに小さな花を買うようになった。現在の花瓶はワンカップ酒のグラスだったりする。さすがに大○とかではないけれど。

 

 一人暮らしの部屋に、しかも平日は毎日仕事で遅く帰り、朝は起きると同時に出て行くような部屋に、花を飾る必要なんてあるんだろうかと思っていた。週末だってろくにいないし、いたらいたでうとうとしてばっかりだ。切り花は飾られてこそだし、飾った以上見られてこそなのに、もったいないというかむしろ花に申し訳ないような気持ちになるので、買ってまで飾りたいと思っていなかった。なんだろう。一人暮らしなのに無駄にハイスペックな家電を買ってしまったような罪悪感に近いのかもしれない。

 私の背中をぐいっと押してくれたのは、この部屋に当る西日の強さだった。年明け、少しの間在宅で仕事をしていた期間があって、その時、自分の部屋はとにかく日当りがいいこと、特に西日が強烈に当る時間があることを再確認した。
 よくわからないけど、これだけ日が当たるなら、水さえ替えておけば花はそれなりに元気に咲いてくれて、私がいるとか見てるとか関係ないなと急に思ったのだ。

 寝起きに視界に入る花、夜遅くに帰っても咲いている花は、寝る前に作っておいた汁物や簡単なおかずを翌日食べる嬉しさに近い。昨日の自分のほんの少しの手間が、次の日の自分の気分をちょっとだけ上げる。切り花を飾るのは自炊よりもさらに簡単で、プロが咲かせて、良い状態にしておいたものを花瓶もといワンカップに挿すだけ。

 ていねいな暮らしみたいなものとはほど遠いけれど、これはこれで悪くない趣味なのかもなあと、テレビ台の端に咲く花を時々眺めてはにやにやしている。

 

 あとはまあ、仕事やその他諸々がどれだけ殺伐としてあれもこれも気に入らないといきり立っていても、花はきれいに咲いているなあと思う気持ちがあるなと。花をきれいだと思うイコール人の心を失っていない、ではないとは思うけれど、ふっと冷たいおしぼりを手渡してくれるような役目が私の部屋の花にはある。

 

センターで踊ること

 発表会の練習が始まるとふと思い出してしまうことがある。もうかれこれ6〜7年前に一緒に踊ったクラスメイトが言ったこと。

「発表会を見に来る人は、群舞の真ん中や最前列で上手い踊る人は選抜された上手い人だと思ってる」「群舞の構成で、端や後ろの位置を割り当てられると、見に来てくれる人に下手なんだと思われて屈辱的なので許せない」ということ。そこまで数回発表会で群舞に参加したことはあったけれど、そんなことを考えつきもしなかったのでものすごく驚いた。あまりにびっくりしたので、発表会に来てくれる友人にそんなふうに思ってた?と聞いてしまったくらいだ。
 ちなみに、ダンス含む舞台鑑賞が趣味である友人には一笑に付されたが、そうなのかと思っていたと言った友人もいた。

 個人的には、担当の先生によって足音をがっちり揃えたいところのタイミング出しに上手い人を配置するとか、後半疲れてきた辺りで周りを引っ張れるように上手いベテラン勢を先頭に出すとか、そういったことは考えてる気がするけれど、どの先生もがんがん人を動かす構成をするので、最初から最後までずっと似たような場所で踊ることは一度も無かったと思う。むしろ、来てくれる人に聞かれても、どの辺で踊ってるかを説明するのがいつも結構難しいくらい、あちこちに移動して踊っている。

 件のクラスメイトの主張は段々エスカレートして行き、クラス中にも「さっきからずっと後ろばっかりでやる気が出ない」「こっちは同じだけお金払ってる」などと直接先生にクレームを付け出した挙げ句、「〜さんはさっきからずっと端だと思います」とか頼まれてもいない他人のクレームもぶつけるようになったのだけど、そういう人に限って絶対ソロには挑戦しないのがとても不思議。嘘。大体理由はわかりますけども。

 

 ばかばかしいなと思っていても、一度吹き込まれた視点は時々顔を出して、私を急に不安にさせたり、元々弱い自信をごっそり削いでいく。
 今やっている構成の最後で、じゃあ1人づつ前に出てちょっとずっと踊っていこうという流れになった。が、なぜか私ともう1人だけが2人一緒で、そしてパレハで踊るためでもなさそうな振りをもらうことになった。先生がその他のメンバーには1人ずつ、ああでもないこうでもないと振りを付けていくのをぼーっと眺めながら、そいつがじわじわ迫ってくるのを感じてた。
 「下手だから1人で踊らせてもらえないだけ」「上手くもなければ見栄えもよくないから前に出したくないだけでしょ」「あなた1人のために振りなんて付けたくないんだよ」という、ワタクシお得意の卑屈スパイラル。そこに、例の「上手い人が目立つところで踊るって思われてる」というやつも近づいて来て、「見にきてくれた人に1人で踊らせてもらえなかったヘタクソって思われるのかなあ」なんて気持ちが湧いて来てしまう。本当にしょうもない。

 
 私はセンターで踊りたくて群舞に参加しているわけじゃない。例の主張を本当にばかばかしく思うし、そういう意見の人と一緒に踊るのも結構きついと思ってた。
 それでもふと気弱になった時に、色々まとめてやってくるネガティブな嵐の中にそれが混じってる。本当に嫌だなと思いながら、振り払って振り払って、そんなこと思ってる時間があるなら練習するか餃子食べてビール飲んで寝ちゃえばいいのにと思う。